ライオネル・ファイニンガー 画家

 

 

1871年、ドイツ系の両親の元にニューヨークに生まれる。

 

1887年、ハンブルクに旅行、そこの工芸学校で勉強を始める。翌年ベルリンの造形芸術アカデミーに入学、そのかたわら出版社や雑誌の挿絵を描く。

 

1892年、パリに留学

 

1894年、ベルリン・アカデミーを卒業。

 

1896年から、「おふざけ」や「阿呆船」といった新聞に定期的に漫画を寄稿。

 

1906年、最初のリトグラフとエッチングの作品。シカゴ、サンデー・トリビューン紙のために連載漫画を描く。

 

1907年、絵画を始める。

 

1907年から1908年にかけて、パリ及びロンドンに滞在。

 

1913年、ベルリンの「第1回ドイツ秋期展」に5点の作品を出品。

 

1917年、ベルリンの画廊「シュトゥルム」で最初の個展。

 

1919年5月から1925年4月までバウハウスのマイスター。

 

1920年末からグラフィック印刷部の主任。バウハウスがデッサウに移転した後、1925年から1932年9月まで、本人の希望により、授業義務のないマイスター。

 

1924年から1935年にかけて、バルト海沿岸ポンメルンのデープに毎夏滞在。

 

1931年、ベルリン国立美術館で、60歳の誕生日に記念展覧会。

 

1933年、デッサウからベルリンに移住、1936年までそこに移住。

 

1937年ドイツを去り、ニューヨークに滞在。

 

1944年、ニューヨークの近代美術館で回顧展。

 

1947年、「アメリカ画家彫刻家同盟」の総裁に選出。

 

1956年、ニューヨークで死去。

 

 

ファニンガーはすでに20年代に、表現主義の重要な画家として知られていた。しかしバウハウスに対する芸術家としての直接な影響は小さかった。彼はクレーやカンディンスキーと異なり、規則的に授業を行わなかったし、体系的な教育論を発展させたわけでもなかったからである。