1888年、シュトュットガルトに生まれる。
1903年から1905年まで、象眼細工工房で工芸デザイナーとしての訓練を受ける。その後1909年まで、シュトュットガルト・アカデミーに在籍。
1912年から1914年まで、シュトュットガルトでアドルフ・ヘルツェルにつく。
1914年から1918年まで従軍、その後1920年まで改めてヘルツェルに学ぶ。
1920年以降、自作に最初の舞台作品「トリアード・バレエ」の衣装デザインに取り組む。この作品は1922年、シュトュットガルトで初演。
1921年から1929年まで、バウハウスのマイスター。
1922年まで塗装工房、1921年から石彫工房、1922年から1925年まで木彫工房を指導。
1923年以降、工房解散の1929年まで、舞台工房の主任。人体デッサンコース。
1928/29年には「人間」の授業を担当。同年、バウハウス舞台を率いてドイツとスイスを巡回公演。このころ自作の「バウハウス・ダンス」の演出のかたわら、絵画や壁装、あるいはベルリンのクロル・オペラを始めとする舞台装置に取り組む。
1929年から1932年まで、ブレスラウ・アカデミーの教授として、舞台芸術クラスの指導と「人間と空間」の授業を受け持つ。その後1933年に解任されるまで、ベルリンの統合芸術学校教授。アイヒベルク、後バーデン地方のゼーアリンゲンに移住。
1938年以後、壁装で生計を立てる。
1940年から、ヴッパータールの塗料工場ヘルベルツの仕事を担当。
1943年、バーデンで死去。
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