ハンネス・マイヤー

ハンネス・マイヤー 建築家・都市計画者

 

 

1889年、バーゼルに生まれる。

 

1905年、左官職を学び、その後建築会社で仕事をし、バーゼルの工芸学校に通う。

 

1909年から1912年まで、アルベルト・フレーリヒの建築事務所に、その後ベルリンのエミール・シャウトのもとに勤務。

 

1912年から 1913年にかけて、イギリスに留学。

 

1916年、ゲオルク・メッツェンドルフのミュンヘン・アトリエ責任者。続いて1918年まで、エッセルのクルップ社の建築管理部長。

 

1919年から1924年にかけて、バーゼル近郊のフライドルフ団地の建設。

 

1924年、ハンス・ヴィトヴァーとともに建築事務所を設立。彼とともにバーゼルのペータース学校やジュネーブの国際連盟本部を設計。

 

1927年4月から1928年3月まで、バウハウスの建築部のマイスター。その後1930年7月まで、バウハウスの学長と建築学部長を兼任。ハンス・ヴィトヴァーをバウハウスに招く。ヴィトヴァー及びバウハウスの建築部の協力のもと、マイヤーの代表作、ベルリン近郊ベルナウの全ドイツ労働組合総同盟の研修学校が生まれる。政治的理由でバウハウスを解任された後、モスクワの建築大学WASIに就任。

 

1934年から建築アカデミーの住宅室長。

 

1936年から1939年まで、新たにスイスでミュムリスヴィル児童モームを建築。

 

1939年から1946年にかけて、メキシコの数々の機関で建築家、都市計画者として活動。最後には出版社の社長となる。

 

1949年、スイスに帰国。

 

1954年、ルガーノ郊外クロチフィッソ・ディ・サヴォサで死去。

 

 

作品の数は多くないが、マイヤーは20年代の建築界における最も重要な機能主義者の一人に数えられる。