マリアンネ・ブラント 金属デザイナー

 

 

1893年、ケムニッツに生まれる。旧姓リーベ。

 

1911年から1917年まで、ワイマールのザクセン大公立造形大学で絵画と彫刻を学ぶ。

 

1924年1月から1926年7月まで、学生としてバウハウスに在籍。アルバースとモホリ・ナギの基礎講座、クレーとカンディンスキーの授業を受ける。金属工房に入り、銀細工の見習いとして徒弟契約。

 

1927年4月からバウハウスの金属工房助手。

 

1928年4月から1929年9月まで、その代表主任。

 

1929年、ベルリンのグロピウスの建築事務所に協力。カールスルーエ・ダマーシュトック団地を始めとする家具や内装に携わる。

 

1930年から1933年かけてゴータの金属工場ルッペル製作所に勤務し、デザインプログラム全体を刷新。

 

1933年、失業、ケムニッツに帰郷。絵画と織物に勤しむ。

 

1949年から1951年まで、ドレスデンの造形芸術大学の木材・金属・陶磁器部門で講師。

 

1951年から1954年まで、ベルリン・ヴァイセンゼーにある工芸大学のマルト・スタムのもとで、造形作家、鑑定人として、工芸研究所で工業関係の仕事に携わる。

 

1954年以降、再びケムニッツで自分の仕事に勤しむ。

 

1983年、ザクセン州キルヒェンベルクで死去。

 

 

 マリアンネ・ブラントは、バウハウスの金属工房で最も才能に恵まれた1人だった。彼女によって的確な基本形態を持つ銀器セットのポットを始め、初期の卓越した作品が生み出された、バウハウスが工業デザイン路線を取った後も、彼女の作品は、依然としてバウハウスの最高傑作の一つである。